2コリント 6:13 子どもたちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。
「どうしても人を赦すことができません」といって相談にこられた方がありました。とにかく赦せない人の悪い点だけを永遠と語られました。しかし、それだけ悪いひとなら赦さなくてもいいと伝えました。すると「赦したいから相談しているのに」と怒られてしまいました。だったら赦してあげればと言いますと、「それができないから苦しい」と反論されました。それではどうすればいいか、自分のうちに赦していいという心を持つことですと答えました。まず自分から心を開くことだと伝えましたが。
パウロは、コリントの信徒たちに「心を開くように」と勧めています。これまでパウロは、神様からいただいた「和解のための任務」を果たすために語ってきました。それを受け入れるには「心を開く」ことが大切です。パウロは、自分たちの方はすでに心を開いているが、コリントの人たちは心を狭くしているといいます。この狭くというのは「余地がない」「空間がない」という意味です。心を開くという意味は、神様のみ言葉を受け入れる余地をもつことです。
ある地下街のトイレに入りました。ちょうどそこに2人の高校生がオシャレな恰好して入ってきました。なにかわかったような口ぶりで会話をしていました。その内容は、女の子のことでした。一人が「俺の友達が、このまえ女子にコクられて」と。たぶん、好きだと告白されたということでしょう。もう一人が「やつは顔がいいからな。やっぱ男は顔だね」と。すると「いや初めは顔が気になるけど、やっぱ最終的には心だろう。おれはそう思うな」と。一生懸命に鏡に向かってオシャレしていました。隣でおかしくて笑ってしまいました。「やっぱ心だよ」といいながら鏡をみている彼らの「心」は何かなと考えてしまいました。その服装に心も出ているように思えましたが。
パウロは「心を広くしてください」と薦めます。心を狭くするというのは、感情や憐れみにおいて狭くすることです。人々と和解するためには心のスペースが必要です。神様を受け入れる空間をできるだけ大きく広く持っておくことが大切なのです。
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