2コリ 2:15 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
出張の楽しみの一つに駅弁があります。最近では神戸の「肉めし」「すき焼き弁当」が美味しいなと思っています。今回の出張で、神戸「肉めし」の中に不思議なものを見つけました。「ワサオーロ」という1枚の紙です。その紙には説明書きがあり、「私たちが日頃食べているワサビやカラシのあのツンとくる香りに強い抗菌力があることは古くから知られています。『ワサオーロ』はこの抗菌力を生かすべく開発した天然の抗菌剤です」ということ。つまりワサビの香りがする紙なのです。これで抗菌できればいうことなし。
パウロは「キリストの香り」について語ります。キリストの香りというのは、キリストの福音(よきおとずれ)のことです。福音は、救いに導かれている者にとって生命を与える喜ばしい香りです。逆に滅びに導かれている者には、死に至らせる死臭となります。そこには悔い改めがありません。キリストの福音を信じるものには、キリストの香りが与えられ、キリストによって神様に献げられるというのです。
私の好きな香りがします。あの籾殻を焼いている匂いです。あの匂いを嗅ぐと季節を感じますし、生まれた田舎を思い出してしまいます。あの籾山の中に芋を入れてよく食べました。しかし、走り回っていたので、どの山に入れたか忘れてしまったことなどもありました。そんなことを思い出させてくれる匂いなのです。人には、なつかしい匂いというものがあります。この匂いは忘れられないものとか、この匂いを嗅ぐと安心するとか。他人には臭くてしかたないものでも、自分にとっては思いでの一部になっていることもあるのです。とくに漬物などはそうかもしれませんし、香水にいたっては言うにおよばです。
パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と言います。キリストの福音をきいて従った者は、すべて神様に献げられる良い香りといいます。その香りは自分のためだけでなく、隣にいる人にとってもよい香りとならねばいけません。自分はどのように生きているか。そこからキリストの香りがしてくるか。それが人を祝福に導いているか。香りについても考えることが多いものです。
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