2コリント 5:17 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
隣のマンションから毎朝のように親子の会話が聞こえてきます。「早くしなさい」「まちなさい」「ゆっくり歩きなさい」「忘れ物はないの」「あれやったの」と。あまり朝からききたくないかなと思います。何か言われるたびに子供の声が聞こえます。「あとからやる」と。きっとあとからもやらないでしょうね。今やれないことが、あとからできるとは思われないからです。何か問題を後回しにすれば、それはもうできなくなるような気がします。「あとで」ではなく、「いま」なのです。神様が下さった時間は常に新しく、あとでと言う時間はないのだとつくづく思います。
パウロは「キリストに結ばれる」と「新しく創造された」という言葉を並べています。この言葉に共通するものは「キリストにあって」ということです。この「キリストにある」とは、キリストを信じる信仰によって「新しく創造される」ことを意味しています。キリストに結ばれた私たちは、十字架と復活の恵みによって日々新しく創造されていくというのです。キリスト者にとって大切なのは「いま」を生きることです。今日与えられた1日は、いままでの人生の中で最も新しい日です。その「いま」をキリストにあって生きる事を教えています。
もう20年前でしょうか。ある会合で鞆の浦・仙酔島にいきました。ここは離島になっています。午後10時になると船がなくなります。しかし、「何のために生きているのか気づかせてくれる島」というコンセプトで、新しくオープンした民間委託の国民宿舎なのです。目の前は海しかない。自然を感じていただくために、部屋にはテレビがありません。料理は最高。温泉も最高でした。ということで、朝から晩まで、模造紙を広げてとことん話し合うことができました。島から出られないし、遊ぶ場所もない。雨が降っているので外へは出られず。計画会議にもってこいの環境でした。波の音がすばらしく感動しました。寝るときにたえず波の音が聞こえてくるのです。こんなにリラックスして眠れたのは久しぶりでした。とことん話し合った結果でてきたテーマは、「再編と再生」でした。教会の再編をどこまでできるか、そして新しく再生させていけるかでした。これは今も新しい課題でもあります。
パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」と教えています。キリストを信じる信仰は、あとからではなくいま受けるかどうかです。あとから結ばれるではなく、いま結ばれることです。この「いま」が、新しく創造された者となることの大切な要素だと思います。「あとから」という考えでなく、神様の恵みは「いま」を求めています。
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