礼拝堂が聖なる空間となるにはどうすればよいか。これは初任地の徳山教会からの私の課題です。新しい礼拝堂なのに聖なる空間が感じられない。礼拝堂はただの部屋ではない。聖なる空間に何が必要なのだろうと考えていました。まずは礼拝堂に必要のない物は処分することからでした。全国の教会を回わり感じたことは、礼拝堂を物置にしている教会が多いという事でした。
礼拝堂は物を置くのに多くのスペースがある。しかし聖なる空間となるためには必要のない物は外に出し空間を増やことです。次は整えるということが大切です。礼拝堂の椅子がきちんと並んでいる。ゴミが落ちてない。さらに聖卓・説教台が綺麗であること。み言葉を語る説教台が綺麗な教会は、その教会の信仰の在り方もみえてきます。とにかく説教台に不必要なものが置かれています。ゴミ置き場にしてはいけないのです。
それだけ整えても聖なる空間にはなりません。何が足りないのかと毎日考えました。そして気がついたのです。「祈り」がそこにあるか。礼拝堂で毎日誰かが祈っているか。さらに、毎日み言葉が語られているか。箱を整えても聖なる空間にはなりません。み言葉と祈りが絶えずそこに必要です。大江教会はどうでしょうか。毎朝礼拝があり祈ります。牧師は朝晩の祈りを行います。さらに講壇用聖書の通読が続いています。大江教会の礼拝堂にはみ言葉と祈りがあります。だからここは聖なる空間として成り立っています。しかしさらに聖なる空間になるためには、皆さんがそこに加わっていただきたいと思っています。いつでもお祈りにきてください。教会の扉はいつでも開いています。
聖書通読が7月から4回目に入ります。聖なる空間を創りあげていくためにぜひ皆さんも参加ください。聖書通読が毎日礼拝堂で行われる教会として祝福を受けています。