1コリント 12:14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
お店でも、スーパーでも、コンビニでもうちはこれが売りですという特徴を持っています。面白いお店のキャッチフレーズは「他の店にあるものは、うちにはありません」でした。笑ってしまいました。キリスト教会も何か特徴があればいいなと思います。とくに大江教会の売りは何かを考え、特徴を打ち出していけばもっと楽しい教会になうと思います。土台にはキリストがいて下さるので、安心して個性を伸ばすことを考えていきたいものですが。
パウロは教会を「キリストの体」として語ります。神様が人間に与えられた一つの体に属している部分(手、足、耳など)は、それぞれに多様性があります。そのことは、キリストの体である教会も同じであると教えています。教会の場合も多くの部分があるが、すべては一つの体であるキリストにつながっているのです。いろいろな特徴をもった部分が集まって教会を形成し、ともにキリストの体を建てあげていると教えているのです。ですから、キリストという土台を持っていると言うことを教会は忘れてはいけません。どんなに分裂しそうになっても、教会はキリストにおいて一つです。その意識を大切にしています。
ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)の特徴の一つは、いろいろな教会の信者が一緒に学んでいるということです。カトリックをはじめ、基督教団、バプテスト、セブンスデー、聖公会、インマヌエル、アッセンブリー、アライアンスと、私のクラスだけでもこれらの方々がおられました。ですから、いろいろな教会の考え方の違いにとても参考となりました。これらの教会の人たちが、昼の礼拝には一同に集まります。ともに讃美歌を歌い、聖書を読み、祈るのです。しかし、その祈り方はまちまちでした。それでも、主にあってひとつという喜びを感じたものです。
その中で私が印象深く学んだことは、礼拝堂への入り方でした。ルーテルの学生はそのままスーッと入っていきます。私もそうでした。しかし、ある学生は一礼をして、ある学生は一言祈って、ある学生は十字架をきって入っていくのです。その姿に「偶像礼拝だ」と批判する者もいました。私などは新鮮な驚きを感じたものです。多くの部分でも神様はひとつです。
パウロは「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています」と教えています。それぞれが大切な部分です。その一つの部分が、その部分しかできない働きをしています。他にができない働きがあつまって一つの体となっています。各部分に特徴があり、なくてはならない。教会も人も、神様からいただいて自分が持っている「イチオシ」をもっと自覚してもいいと思います。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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