マタイ 26:34 イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
全国総会のチャプレンをした時、御言葉を聞くだけでなく、「見える礼拝」「体感する礼拝」をめざしました。各教区の灯火を教区長が持って入場し、総会期間中は灯しておく。アメリカ・フィンランド、日本のワインを一つ聖杯に注ぐ(日本で宣教協力している3つの団体の一致と宣教された母体を覚える)。新任教職による配餐。若手牧師によるアルバを着た朝夕の礼拝。「宣教への夢」「信徒・牧師・信仰共同体(施設・学校)による宣教」「海外宣教」「次世代宣教」「遺言」という、テーマをもった礼拝と交読文。それぞれに新しい企画を立案しました。その中で最も大切にしたのは閉会礼拝でした。今年を最後に引退される小泉潤元議長に「遺言」を語っていただき、新しく就任する常議員に御言葉を与えてくださるようにお願いしました。当時、西教区長の私には「若者にすぎないといってはならない。わたしがあなたを、誰のところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」(エレミヤ1:6)でした。小泉潤牧師の説教の最後は、聖書をその胸に抱きしめて「これが。これこそがわたしの遺言です」と語られた時、目頭が熱くなりました。
イエス様は過越しの食事のあと、ペトロに「三度わたしを知らないと言う」と否認の予告をされました。この予告のまえにイエス様は、ゼカリヤ(旧約)書から預言の言葉を引用しておられます。この預言の言葉を通して、「イエス様は羊飼いであること」「その羊飼いが受難を受けること」「受難は神様の御心によること」を示されました。その上でなお、羊飼いであるイエス様をおいて、ペトロをはじめとする弟子たちが逃亡する予告されたのです。ここでペトロは「決して裏切りません」と約束しています。
数年前、子ども説教集を出版しました。この出版にはある姉妹「遺言」があります。牧師となって初めて赴任した教会に一人の姉妹がおられました。教会付属の幼稚園で長く奉仕された方です。すでに引退をされ教会学校の先生をされていました。私の子ども説教がユニークだったのでしょう。大変気に入ってくださり「私が生きている間に子どものための説教集をだしなさい」と言ってくださいました。その時2人でお祈りし、神様と姉に約束をしたのです。しかし、1年で東京教会を離任し徳山教会に赴任したためにその約束は置かれたままでした。ところがある日AVACOから電話をいただきました。新しく出版される「おはなしがいっぱい」という子ども説教集への執筆依頼でした。そのことがきっかけとなり毎年書き続け15年にもなりました。いつかはこれをまとめてと思っていた時に姉は天に召されました。お会いするたびに「子ども説教待っているわよ」と、最後まで応援してくださいました。それが私への「遺言」となりました。遺言の中にある約束は真摯にうけとめねばなりません。
ペトロはイエス様の予告に「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と約束しました。しかしその約束は破られてしまいます。それでもイエス様は暖かい視線をペトロに送られるのです。ペトロはイエス様の視線に気がつき「激しく泣いた」と聖書は記しています。イエス様はどのような状況にあっても、暖かい視線をおくっておられます。だからこそ、いま信仰がとわれているように感じます。
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