ルカ 14:28 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
アメリカのファーストフードのお店へ行って不思議に思うことがありました。飲み物がフリードリンクであるということ。そのためのカップは小・中・大・特大があり、それぞれに値段が違うのです。私などは「小を買って何杯でもお代わりした方が徳だな」と思ったのですが、みんな特大を買っているのです。ホントに不思議な光景でした。そこで一緒にいた、パーソン先生に聞いてみました。「アメリカの人たちって計算ができないことはないよね」と。すると先生は「たぶん、最後に持って帰る1杯のことを考えてんじゃないの~」ということでした。そうなんだと関心しました。最後の1杯を特大カップに溢れるくらいに入れて、オフィスに持って帰る人が多いのです。最後の1杯をどれくらいにするかを考えているのだなと思うと、すごく賢い人たちにみえてきました。それでもパーソン先生は「だから肥満になっていくのに・・・賢くないなあ~」と笑っていました。計算ができるのはどっちなんだろうという疑問だけがのこりました。
イエス様はエルサレムに向かう途中で、一緒についてきた群衆に弟子の条件を話されました。とても厳しい言葉がならんでいます。「もし~~でないならば、わたしの弟子ではありえない」と3度も言われました。最終的にはすべてを捨てて従うことを求められます。自分の人生においてよく考え、計算し、中途半端な決意は失敗すると、たとえをもって語られました。大切なことは、よく考えることです。
「この人たちは、どんな計画を持っているのだろうか」と思うことはたくさんあります。たしかエルサレムのホーリーランドホテルの近くに、総ガラス張りのホテルがありました。アメリカ資本のホテルでしたが、開店とともに休業したホテルなのだそうです。なぜなら、総ガラス張りだからです。エルサレムといえば、そう砂漠地帯の一画にあります。雨期はまだしも、乾期ともなれば灼熱の太陽にさらされるのです。こんなところにガラス張りだと、ホテルの中はものすごい温室というよりサウナ状態になるのです。はじめからわかりそうなものをと思いますが、どんな計画だったのかなと考えずにはおれません。イエス様は聖書の中で「あなたがのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者があるだろうか」といわれました。じっくり考えてみるでしょうと言われたのでしょう。そうはいっても、私たちの人生は「じっくり考えて」とはいかないもののようです。あわてんぼう、うっかりやの自分をみるとき、同じことかもしれません。それでも、神様の守りのうちに、神様の計画どおりに生かされているのです
イエス様は「まず腰をすえて」と言われます。客観的という意味にも取れますが、信仰にとって何が一番大切かを考えてみよと言われたのではないでしょうか。あなたの人生にとって何が大切でしょうか。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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