マタイ 13:24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。
ヨーロッパの国々はリサイクルをやめた」ということを聞きました。まさかと思いましたが、本当なのです。日本ではいまやリサイクル運動のまっただ中です。そんな時にヨーロッパの動きはどうなっているのだろうと考えてしまいました。すると、「ヨーロッパはリサイクルはやめてリユースになる」というのでした。この考えはもっともだと思います。リサイクルというのは、いまあるものを壊して再び新しいものを作るというものです。これには大きなエネルギーがいります。そのエネルギーによってまた別の公害問題へと発展するのです。リユースというのは再利用ではなく再使用です。たとえば子供の頃ありました、ビンをもって醤油を買いいくとか、牛乳ビンは繰り返し使用するとかです。これだと新たにエネルギーを使って再利用する必要がないわけです。やっぱり、どこに視点をおくかで随分かわってくるものだと思います。
イエス様は「たねを蒔く人のたとえ」からはじまる7つのたとえ話をされました。イエス様は事あるごとに「たとえ」を話されているので、マタイによる福音書ではそれらをまとめて一つにしています。しかし、この箇所の「たとえ」にはテーマがあります。それは「天の国とは何か」です。いろんな方向から見ることによって一つの真実が明らかになるように構成されています。聖書も一つの方向から読むのではなく、多くの角度から読む時に福音の真理がわかるように構成されています。
ある時、2つのコンサートがありました。1つピアノパラリンピックのクラッシックコンサート、もう一つはアルゼンチンタンゴのコンサートでした。どちらにも共通することは、使用されたピアノが「被爆ピアノ」だったということです。このピアノは昭和13年に製造され、宇品で被爆したピアノだそうです。たったひとつのピアノですが、誰がこれを弾くかでかなり変わるものだと思いました。この被爆ピアノをつかって、身体に障がいがある方と2台のバイオリンが奏でる「バッハG線上のアリア」は涙がでてきました。夜のアルゼンチンタンゴはこれまたガラリと雰囲気がかわり、心躍らされる感じがしました。このピアノが被爆ピアノだからというのではなく、時や出来事を超えていまここで響いている音に心うたれました。一日のうちで同じピアノをつかった全く別のコンサートに驚きと不思議さを感じました。
イエス様は天の国の話をされるとき「別のたとえを持ち出して言われた」とあります。天の国を人々に説明するためのいくつかの話をしておられます。一つの事柄をたくさんの方角からみることによって、その真実を示すためでした。その真実が人々の福音として明らかにされるのです。いろいろな角度からみてお互いの徳を高めることも同じことだと言えます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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