マタイ 23:3 彼らが言うことは、すべて行ない、また守りなさい。しかし、彼らの行ないは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
テレビで評論家をみていると、「いいこと言うなあ」と思うことがあります。ところが、その人が詐欺事件で捕まったり問題を起こしたりすると、あれは何だったのかと思います。行ないのともなった言動。これはなかなか厳しいものがあります。言うことは簡単ですし、人を感動させる言葉をどこかで覚え、発言することだってできます。しかし、そのように生きているかは問題です。
イエス様は律法学者、ファリサイ派の人々の教えと行いについて弟子たちに注意を促されました。モーセ以来、民衆に律法を教え具体的に生活の中でどのように守るべきかを指導してきたことは認めておられます。しかし、問題はその教えではなく、言うだけで実行しないことだと言われます。いい事をひとに押しつけるだけで、人を助けようとしないことを問題とされました。「言うだけ人間」になってはいけないと戒められたのです。
面白いジョークをみつけました。といっても本当は笑えないのですが・・・。
「船が難破し、救命ボートに乗り移る人が多すぎて、ボートが沈みそうになった。女性、子どもを救うために男性に海に飛び込んでほしいが、このときどう言えば効果的かというときのジョークです。イギリス人には『あなたは紳士ですね』と言うがよい。ドイツ人には『命令だぞ』と言う。イタリア人には『飛び込むな』(彼らはあまのじゃくだから)と言う。そして日本人には『皆さん、飛び込んでいらっしゃいますよ』とささやけばよい」これを読んで「なるほど」と感心してしまいました。大笑いもしたのですが。なぜなら、私たちにもよくあてはまるものですから。最近の子どもたちをはじめ、大人も「皆」という言葉を使います。「みんな持っている」「みんなやっている」「みんながこう言ってます」「みんな同じ気持ちです」「みんな・・・」と。だいたいその「みんな」といううのは2、3人のことなのですが。
その人の生き方が信仰を語ります。祈ってないキリスト者、聖書を読んでないキリスト者、礼拝を大切にしないキリスト者はすぐにわかります。その人がどんなことをいっても人は動かされないのです。信仰の言葉は実行されてはじめて人を動かす力になるのだといえます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>