マタイ 12:33 木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。
広島教会のベランダには3本のオリーブの木がありました。ある時その1本に実がつきました。神様が造られた命の力強さと神秘を思います。3年目にしてやっと実を結んだのです。ほとんど気づかれずにそこにありました。それがいつのまにか実をつける。神様が命に対してされることは、確実なことなのです。
イ エス様は、人の行為や言動を問題とされました。その善し悪しは「結ぶ実」でわかると言われたのです。すべてのことは、その人の外に現れてくる。その人が結ぶ実でわかるというのです。どんなに後からとりつくろっても、人間の内面にあることは、必ず外に現れてくる。そのことをみれば、善し悪しは分かるのだと教えられました。
前任地で98歳の姉妹の洗礼式が自宅で行われました。まもなく百歳とは思えない元気さです。「みんなクリスチャンになってしまったから、私もクリスチャンになってもいいよ」というのが信仰告白でした。イエス様とお孫さんとの出会いが、妹さんへ、お母さんへ、お父さんへ、そして祖母までつながってきたことになります。「主イエス様を信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」との、パウロの言葉はその通りだなと思いました。しかし、姉の洗礼にはもう一つの奇跡があることを教えられました。姉は10歳の頃、広島天満町にあった教会の日曜学校へ通っていたというのです。神様を信じるからというのでなく、讃美歌を歌うのが楽しくて毎週のように通っていたそうです。大正の頃でしょうか。その歌はいまでも覚えておられ、洗礼を受けられたあとに「主よみもとにちかづかん」と、大きな声で歌ってくださいました。一人のキリスト者が生まれるために、神様はたくさんのつながりや出来事を用意してくださっているのです。それはいつか芽をだし、確実に実を結ぶものだと思います。神様の奇跡は偶然なことではなく、必然のことがらです。
イエス様は「その結ぶ実で分かる」といわれました。どんな実を結ぶかは、その内面の信仰によるのです。結んだ信仰の実によって、その人自身もわかることになります。木と実の関係は、心と言葉の関係に置き換えられています。どのような実を結んでいるかで、その人の内面が見えてきます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>