講演することは多いですが、講演を聞くチャンスもあります。話をする人は、人の話を聞く機会を多く持つことが必要です。自分の講演が独りよがりになるからです。
聞いてくださる相手が誰であるかも大切です。はじめから聞く体制で迎えてくれる時があります。そうでない場合もります。授業としての講演は「この人の話が聞きたい」というのではありませんから、聞いていただく努力が必要です。それは聖書の授業も同じです。力で聞かせる方法はあります。しかし自分から聞こうという体制を作るのは大変です。牧師として聖書の授業をする。話していることに変わりはありません。聞く人々の体制が違えば話している自分の思いも違います。今日も伝わらなかったのだと落込みます。それでも内容だけで伝える努力をします。きっと毎回伝わる経験をすると自分がおごり高ぶってしまうのを神様はご存じなのです。一方的に自分の話を押し付けるのではなく、沈黙の中にも会話かそこで出来ればいいなと願います。
講演をするたびに「今日はどうだったか」と祈ります。自分に与えられた今日のみ言葉を語り伝えることができたか。「今日もできなかった」からまた始まります。そのように教えられるからまた次の講演に送り出されるのでしょう。同じ話はしたくない。するのであればより新しい話をしたい。自分も成長させていただく機会としたいなと願っています。
講演行脚が続きます。次回はどんなテーマが与えられるか。それについて自分は語るみ言葉を与えられているか。み言葉に立って話をしているか。聴衆に媚びてないか。あきらめてないか。さらに聞いている存在を見捨ててないか。いろいろと考えながら語らせていただきます。イエス様のみ言葉が一人でも多くの人に届くように。