フィリピ 2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。
「言葉とは心の振動である」ということを聞きました。「好きだ」という心の振動があってはじめて、言葉として告白ができるというのです。振動ですから、音にならない言葉もあります。イエス様の御言葉も振動です。十字架という救いを、福音という御言葉の振動によって伝えてくださっています。この振動こそ聖霊の働きではないかと思います。心の振動を意識していないと、それはただの音になります。音では会話になりません。家庭内ではなされる会話も、命の言葉としての心の振動を大切にしてほしいと願っています。
パウロは、神様の福音を「命の言葉」といいました。また、キリスト者として、福音という命の言葉をしっかり保つことが「誇り」であると教えています。この「福音」という一つのことに、パウロは全身全霊をもって働いています。全身全霊で働くことが保つということでもあります。
「私は幸せものです。みなさんからこんなによくしていただきました。感謝です」という言葉を遺され、神様のもとへ旅だっていかれた姉妹がおられました。「天に召されるときも、みんなに迷惑をかけないように」の願い通り、眠るようにあっと言う間に天に召されていかれました。その穏やかな表情がいまも印象的です。私たちの人生「私は幸せ者」と最後に言えるということは、本当に感動的なことです。しかし、姉の人生は青春時代のすべてを戦争に脅かされ、結婚して数カ月ですぐに原爆で夫を亡くし、本人も被爆されたのでした。しかもそのとき一人娘を身ごもっておられ、妊娠6ヶ月でした。それからも何回も大手術を繰り返されてきました。最愛の孫のひとりが事故によって障碍を受けられるとの出来事も受けとめねばなりませんでした。その人生の最後の言葉は、天に召される2日前は「いろいろと感謝です」、1日前には「いろいろとありがとう」。そして臨終の床では家族の一人一人の名前をあげて感謝されたそうです。いよいよ苦しくなったときは、娘さんにしか聞き取れないくらいの言葉で「ありがとう」と言われたそうです。この言葉は娘さんだけにしか聞き取れないものでした。
パウロは、「命の言葉をしっかり保つ」と言います。言葉には命があるのです。言葉は「心の振動を伝える」のです。「ありがとう」の一言が人を生かすのは、その「ありがとう」に心の振動が込められているときです。私たちはイエス様から「命の言葉」をいただいています。その「命の言葉」が、どんなときでも励まし、慰めを与えてくれるのです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>