マタイ 26:34 イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
数年前、子ども説教集を出版しました。この出版にはある姉妹「遺言」があります。牧師となって初めて赴任した教会に一人の姉妹がおられました。教会付属の幼稚園で長く奉仕された方です。すでに引退をされ教会学校の先生をされていました。私の子ども説教がユニークだったのでしょう。大変気に入ってくださり「私が生きている間に子どものための説教集をだしなさい」と言ってくださいました。その時2人でお祈りし、神様と姉に約束をしたのです。しかし、1年で東京教会を離任し徳山教会に赴任したためにその約束は置かれたままでした。ところがある日AVACOから電話をいただきました。新しく出版される「おはなしがいっぱい」という子ども説教集への執筆依頼でした。そのことがきっかけとなり毎年書き続け15年にもなりました。いつかはこれをまとめてと思っていた時に姉は天に召されました。お会いするたびに「子ども説教待っているわよ」と、最後まで応援してくださいました。それが私への「遺言」となりました。遺言の中にある約束は真摯にうけとめねばなりません。
イエス様は過越しの食事のあと、ペトロに「三度わたしを知らないと言う」と否認の予告をされました。この予告のまえにイエス様は、ゼカリヤ(旧約)書から預言の言葉を引用しておられます。この預言の言葉を通して、「イエス様は羊飼いであること」「その羊飼いが受難を受けること」「受難は神様の御心によること」を示されました。その上でなお、羊飼いであるイエス様をおいて、ペトロをはじめとする弟子たちが逃亡する予告されたのです。ここでペトロは「決して裏切りません」と約束しています。
東日本大震災のときキリスト新聞に「残るべきか、去るべきか~悩む宣教師それぞれの葛藤~」という記事がありました。今回の大震災で、福島第一原子力発電所事故で放射線被害が拡大する事に伴い、宣教師の多くが国外に出国している事を伝えています。そこに、今なお続く危機が宣教師にとり前例のない挑戦だとしたうえで、あるセンター長の宣教師の言葉がありました。「宣教師は普通、現地の状況に密接に関わっており、脱出する最後の人間になることもしばしばだ。津波と地震、さらに戦争とか疫病でさえも、宣教師は歴史的にも離脱する最後の人だった。それはそこが家であり、働き場だったからだ。しかし放射線は全く別のものだ」と。今の状況の中で、どう判断するかはそれぞれに任されています。被災地から逃げることができない教会もあります。非難・批判することではありません。この現状が収まり、再び日本に帰国する宣教師はそのとき何を見、なにを感じるのかなと思います。
ペトロはイエス様の予告に「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と約束しました。しかしその約束は破られてしまいます。それでもイエス様は暖かい視線をペトロに送られるのです。ペトロはイエス様の視線に気がつき「激しく泣いた」と聖書は記しています。イエス様はどのような状況にあっても、暖かい視線をおくっておられます。だからこそ、いま信仰がとわれているように感じます。
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