創世記 30:36 自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。
「あの人とはちょっと距離をおいている」という表現があります。この距離の意味は何だろうと思います。しばらく会わないようにしよう。無視しよう。関係ないように振舞おう。たくさんの意味があります。また「ちょっと距離をおいてみたら」というアドバイスもあります。人間関係にはほどよい距離が必要かもしれません。しかし、この距離がうまく働けばいいですが、距離があるためにうまくいかないこともあります。
旧約聖書の物語に、ヤコブと舅ラバンの話があります。ヤコブは兄エソウの怒りから逃れる旅を強いられやっと親戚の家に出会います。その地でラケルと出会います。しかし、その父親ラバンの巧妙な策略によってヤコブは騙されたり、不当な労働をしいられたりするのです。ついには、ヤコブとの距離を3日ほど置いたと言う話です。この3日の距離を置かねばならなかったほど、この関係は冷たいものだったのでしょう。
大江教会は地図上では、4つの教会と共に歩んでいます。大江、宇土、鹿児島、阿久根です。距離がかなりありますが、牧師の働きとしては近いように感じます。鹿児島教会のみなさんと礼拝を守ってみると、なんと近く感じることかと思います。教会間の距離は地図上の距離でなく、信仰の交わりの距離のように思えます。そう考えれば、なんと近いのだろうと感じたのです。これから教会の宣教方策に基づいて教会形成をしていかねばなりません。机上の議論だけでなく、大切なのはこの距離をどう縮めるかということです。地図の距離ではなく、信仰の交わりの距離です。私たちの教会は、ワークを交わりとして位置づけてきたことは重要なことでした。心の距離はいつも近くにあります。助け合う距離、支え合う距離がもっと近くなりますように。
イエス様は、「神の国は、あなたがたのただ中にある」といわれました。これは中のことではなく、「間」という意味もあります。人と人との間にはイエス様がいてくださるのです。お互いがこのイエス様とつながって距離間を保つとき、平和がくるのではないかと思います。イエス様を間にはさんだ距離とはどれくらいでしょうか。しかし、その距離は間にあるイエス様を通るということで、「愛し合う」「赦し合う」「認め合う」というフィルターを通ることになります。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>