「配慮」という言葉があります。やさしくいえば「思いやり」でしょうか。この思いやりを考える時、自分がではなく相手はどうかということを考えます。その人のことを思うと簡単にいいます。できてないな~といつも反省します。
ある整形外科病院の話しです。骨折などで松葉づえ、車いすの患者さんが多いのがわかります。とても素敵な病院なのですが、ちょっと困ることがあります。まず病院の扉が横開きでないこと。さらに自動扉でないことです。院内は土足ではなくスリッパに履き替えることになっています。怪我をしていない私には何も不都合はありませんが、松葉づえ利用の方などは大変です。中に入るのに苦労しさらに靴をぬぐ。松葉づえの先の泥の心配をしなければならない。受付の方が直ぐに来てくれるとか、他にお世話をして下さる方がいればいのですが。これって自分が患者になって体験してみないとわからないのです。私も今回はじめ気づきました。
大江教会入口の改装がはじまります。まず横開きの扉にします。もっと早くしなければならなかったのですが、資金、業者の関係でやっとできます。車いすの方には大変不自由な扉でした。外にあいている時にはスロープが使えなかったのです。思いやりから必要なことは早くしてきます。しかしなんでもできるわけではありません。気づきから実行へ。言うだけに終わらずに、実行できるにはどうすればいいかを考えています。あれもできてないこれもではなく、自分がそれに関われるように何ができるかです。
思いやりを形にする。それには祈りと実践を必要とします。お金がないからできないではなく、お金を創り出してもそれをやることも大切です。資金を創り出す方法を皆さんで知恵を出し合いましょう。まだまだやることはたくさんあります。