ヨハネ 1:4-5 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。
クリスマスの時期にくるのが冬至です。冬至は、二十四節気の第22番目です。旧暦で11月の内にあります。現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときでだいたい12月22日ごろです。ある年は、この季節としては珍しい皆既月食があり、多くの人が赤に色を変える月の姿を見ることができました。冬至に皆既月食となるのはほぼ4世紀ぶりとのことだそうです。実はクリスマスは、2~4世紀ごろ古代ローマで冬至の日に祝っていた「太陽神の誕生祭」「農耕神の収穫祭」がキリストの誕生と結びつけられたと考えられています。冬至の日は、昼間が一番短くなります。つまり暗闇が一番長い日なのです。この世の光としてキリストが来られた。それによって、この世の闇は消え去り、神様の光が輝きはじめるという意味がありました。
ヨハネによる福音書には、馬小屋でうまれるクリスマスの物語はありません。むしろ哲学的な表現でキリストの誕生を書きしるしています。ナザレのイエスこそ神様の言が受肉した人物であり、神様を知るには、このイエスを知ること以外にないと言います。その大切なテーマとして「言」「命」「光」があります。それぞれが大切なテーまです。
先日、幼稚園のクリスマ会に参加してきました。今年の出し物は「ぐりとぐら」でした。こんなことがあったそうです。子どもが家に帰ってきてお母さんに言いました。「お母さん、僕『ぐり』の役になったよ」と。お母さんは大喜びでした。主役ですから。それでおじいちゃんやおばあちゃんはもちろん、親戚の皆に声をかけ当日の晴れ姿を見て欲しいと招待されたそうです。大勢の親戚の見守る中、劇が始まりました。幕があき自分の子供はどこに出てくるか緊張してまっていました。ところが舞台には幼稚園の全園児が立っていたのです。そしてよくみると、半分は「ぐり」半分は「ぐら」だったのです。みんな主役だったのです。素敵なクリスマス会でした。みんなが主役でしたから。クリスマスの主役は誰でしょうか。イエスはもちろん、私たち一人一人もキリストによって救われる主役なのです。神様の光はイエスにも私たちにも注がれています。
イエス・キリストの誕生は、この世に救いの光をもたらします。明日からは暗闇は少しずつ短くなっていきます。私たちの中にキリストを迎えるということは、この光が自分たちに与えられることを意味します。クリスマスはキリストの光をお迎えすることです。暗闇の中にあってもこのキリストの光が私たちをしっかり導いてくださいます。