歳をとってくると「思い込み」が多くなります。そう思ったら他が何と言おうとそうなんだと思えます。ちょっと面白い出来事に遭遇しました。
師走のスパーマーケットでの出来事です。一人のおばあちゃんが自転車置き場で大きな声を出しておられました。「私の自転車がない。誰かが盗んだ」と。横にいたおじいちゃんが「それは大変だ。直ぐに警察を呼ぼう」「いや店に言いに行こうか」と。みなさん集まってこられました。それから自転車は何色だったか。どんな自転車か。本当にここに置いたのかと質問が飛びます。おばあちゃんは「絶対ここに置いた。誰かが動かした」と何度も言われる。「思い込みでは」といわれても、「そんなことはない。私はここに置いた。私は間違っていない・。誰かが動かした」との一点ばりでした。そこまで言われるとそうなんだろうなと思ってみていました。
そこまで聞いてその場を離れました。家に帰りながら「これが思い込みだとしたらどうか。実は歩いて来ておられたら」と。いま本当のことを言っておられると信じたいかな。自分ならどうだろうかなど。もし思い込みだったら「自分は間違っていない」との確信は何処から来るのでしょうか。また、この人の言うことは真実だと思っていただけるには何を根拠にそう思っていただけるか。私などはおばあちゃんだから思い込んでるに違いないと思っている。そのような見方は失礼ではないか。街中のちょっとした出来事でいろいろと考えさせていただきました。
神様はすべてを知っておられる。真実は神様のみが知っておられる。まずそこを考えて謙虚になると思い込みもすこし抑えられるかもしれません。自分が正しい、自分は何でも知っている。自分自分が思い込みを増やしていくのではと思います。