フィリピ 4:4 主において常に喜びなさい。重ねていいます。喜びなさい。
フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と言われています。パウロが信徒にむけて「喜びなさい」を何回も繰り返し告げているからです。この「喜びなさい」とは何でしょうか。しかも「主にあって」と言うのです。パウロは救われた者の本質を言っているのかもしれません。キリストと出会い、罪赦されて新しい命をいただいた私たちは、内なる中心にこの「喜び」がある。それを人々に証しするのだと聞こえてきます。
孔子の話に次のようなものがあります。ある時孔子は、楚の葉公に「国を立派に治める決め手は何か」と問われます。すると孔子は答えます。「近き者説(よろこ)べば、遠き者来たらん」と。現代的に訳すれば、身近な者が喜ぶような状況をつくりあげれば、集団には活力がでて自然と遠くから人も集まってくる。すると地が栄え、皆が豊かになり幸せとなるということです。
教会も同じだと思います。身近にいる信者が喜ぶような教会に徹すれば、そこに多くの人たちが集まってきます。喜びがない教会だと「こんな教会には人をつれてきたくない」と思います。また人に声をかけようとも思いません。だから人は集まってこないのです。しかし「私たちの教会は楽しい、喜びで満たされている」と思うと「ぜひ教会にきてごらん」と胸を張って言える。そしてじっさい連れてきたくなるのです。まずは、いまここにいる私たちが喜びの満ち溢れる教会にすることでしょう。イエス様の福音は人を通して伝えられていくものです。喜びをもって伝えるには、まず教会に喜びをつくりあげることです。
パウロは「主において常に喜びなさい。重ねていいます。喜びなさい」と何度もいいます。救われた私がまず「喜んで」いることです。そのことが人に平安をもたらしていくのです。自分の中に「喜び」「楽しさ」「平安」があることを知り、それをしっかり受け止めて今日を過ごしましょう。私たちも教会の喜びの中に自分をみいだしていけたらと思います。
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