人の心の中にある思いが全て聞こえてきたらどうだろう。隣にいる人の思っていることが聞こえてきたら。はたして興味深々で面白いでしょうか。反対にその人の思いが分かってしまったら怖くなるかもしれません。よっぽど分からない方がお互いに良い関係が作れるかなと思います。お前のこと嫌いだと思いつつ笑顔でいられてもです。
按手式のために東京へ行き、羽田空港から電車に乗りました。隣には30代後半の男性がお座っていました。次の駅で女性の方が乗ってこられたときでした。「おい、俺の前に立つなよ。どこかにいけよ。ああなんで俺の前に。うざいな~どこかに消えろよ」と聞こえてきました。誰かと話しているのか。誰も見当たりません。もしかすると隣の男性の心の中の声が聞こえるようになったのかと錯覚しました。実はその男性が聞こえるようにつぶやいていたのです。まるで心の中の声でした。普通なら言葉にしないことを言っているのです。その瞬間恐ろしくなりした。むしろ聞かなかった方がよかったかもしれません。なんでも口に出してしまう。そのことは自分の心中に納めておいていただけませんかと言いたくなりました。
イエス様は内なるものは外に出て来ると言われました。言葉にしなくても、その人の中にあるものは外に見えています。だからこそ自分の中に何があるかを見つめるのです。それが悔改めへの第一歩です。思っていること、考えていること、感情などは、外からでもわかります。だからこそ内なるものが大切なのです。
教会の季節は受難節です。自分の内なるものの声に耳を傾けてみましょう。不平不満、批判、妬み、攻撃。それらは全部、神様に知られており外に出て来ています。祈り、平和、寛容、柔和が内にあれば、それも出て来ているはずです。