使徒言行 12:9 ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
まだ幽霊を見たことはありません。霊の存在は感じることはありますが、実際この目で見たことがないのでわかりません。目の前に現れたらさぞかし怖いだろうと思います。幽霊が怖いのは実際はない存在がそこにあるからだと思っています。しかし、自分のこころの中にある恐怖こそが幽霊の正体だと聞いたことがあります。怖い怖いと思っていると、本当にそれを見る。でもそれは幻にすぎないのではと思ったりもします。
ペトロに起こった奇跡の話です。ヘロデ王によって捉えられ、厳重な兵士の監視がつけられました。ところが、逃げることが不可能な状態のなかで天使によって脱出させられたのです。ペトロは、始めそれが現実のことではなく、夢か幻でも見ているのだろうと思っていました。しかし「我に返った」とき、神様がなされたことに気がつきます。現実と幻の間で、ペトロは「我に返る」という、自分を客観的にみたときに真実がわかったことになります。
かなり前のことですが、多摩美術大の文化祭でのイベントのことを聞きました。多摩川で、夜、多摩川の水面に、映写機で多摩川の水面を映すというイベントでした。真実の多摩川の流れがそこにあるのに、いつも見ている水面を投影する。それは幻の姿がそこにあります。しかし、客観的に見るという視点からすると、とても大切な何かを教えています。私たちは真実をみているようでも、じつは幻を投影させて自分の見方でしか物事をみることができないのかも知れません。
ペトロは自分の目や、自分の判断からみてしまい、現実のこととは思えなかったのです。神様が行っておられることを、神様の目で見ない限りそれは幻にみえてしまいます。自分におこる様々なことがらも、神様の視点が必要です。そうやって自分を客観的に見るということが信仰のはじまりだと言えます。
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