これまでの人生を振り返って「得したこと」は何かを考えてみました。色々とあります。一番得したのは多くの人と出会ったことです。その方々の信仰を教えていただいたことです。世界中の多くの出会いから学ばせていただきました。
その一つ。神学校最終学年の時でした。あと1年で牧師になるという時、ふと「自分は何か忘れていないか」と思いました。何か足りない。とても重要なことを忘れているような。それが一体何だろうかと考えました。そんなとき一人の牧師に出会ったのです。他教派の地方におられる98歳の牧師でした。その老牧師に質問されました。「君は聖書を何回通読しましたか」と。その時は、通読にどんな意味があるのか。聖書は毎日読んでいるし、授業でも学んでいるし。要点さえ押さえておけばいいと思っていました。すると老牧師は「聖書は自分の年齢の数だけ通読する。自分はもう年齢の2倍通読した。牧師はみ言葉がすべてだから」と言われたのです。
実はそれまで1度も通読したことはありませんでした。いつか1回位通読すればいいだろうと。しかし、自分が神学校で忘れていてたものはこれだと瞬間に感じました。電気が走ったようでした。その日から毎日5章の通読を始めました。1年間で1回通読ができます。年齢の数には追いつかないから、朝晩読んでいきました。それでも追い付きません。でも、その日から聖書を読まなかった日はなく30年も続けることができました。聖書通読が人生を振り返って一番得したことです。その恵みは計り知れません。
大江教会では講壇用聖書の通読が続けられています。もう4回目です。読んで下さる方が固定化されていますがそれでもいいのです。この通読が大江教会にもたらしている大きな恵みを感謝しています。天に召されるまで通読は続きます。