詩篇 34篇10節 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
ダビデがアビメレクの前で狂気を装った故事に基づいて歌われた讃美です。苦難からの救いを感謝する歌でもあります。その神様は「貧しい人」「主を畏れる人」「御もとに身をよせる人」「主の聖なる人々」「主を求めるひと」の傍らにおられると歌っています。ダビデは数ある王様の中で、唯一の神様のみを信じ通した王様です。
先週は病床におられる姉のところに訪問しました。天草教会を築き上げた方とはお聞きしていましたが、宣教開始のころのお話を聞いてきました。たった一人で派遣され、幼児教育をはじめ、今日にいたるまで宣教されてきたその奇跡と恵みに感動しました。お話の中で姉は次のようにいわれました。「これまで牧師さんに本当によくしてもらった。何回も訪問してもらって嬉しかった。でもそれに甘えるようになった。私にはイエス様がおられる。イエス様を見失い牧師さんに甘えていた。だから牧師さんにはもう甘えません。来れるときにきてください。私にはイエス様がおられる。イエス様のみに従って生きていきます」と。普通なら「いや、牧師に甘えていいんですよ」と言いたいとこです。しかしそれを言うをはやめました。姉が「私はクリスマスまでには一人で歩けるようにします。大江教会の礼拝にいきます。いまの目標は立って歩くことです」と言われたからです。礼拝に出るという目標のもと、自分を律しておられる姿をみて「甘えてください」とは言えなかったのです。
私たちは、いつも物事や人を恐れています。だから優しい人がいると甘えてしまうのかもしれません。つねにあれが起こったらどうしよう。悪いことがおこったらどうしようと考えています。すべて先回りの不安から祈っているように思えます。詩編の作者は「主を畏れ敬え」といいます。恐れではなく畏れです。私たちは「おそれる」ことを取り違えているようです。「神様にすべてをおまかせいたします」という祈りがでてきたら本物です。主を畏れる人は何も欠けることがないのですから。
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