マタイ1:19 夫ヨセフは正しい人であった
クリスマスの出来事にしか出てこないのが、マリアの夫ヨセフです。仕事は大工でした。それ以外のことはまったくわかりません。しかし聖書は「正しい人であった」と述べています。当時、婚約した女性は妻とほぼ同じ法的責任がありました。ヨセフが律法を守るのであれば、マリアは石打ちの刑でした。彼はマリアを守るために婚約解消をしようと思ったのです。彼の正しさは律法において完璧であるという正しさではなく、神様の前に正しい人でした。
アメリカで看護師として働く信徒さんに会いました。病院にはいろいろな国の方がこられるそうです。その患者さんの中で、一番扱いにくい患者さんは「完璧主義」を持っている宗教の女性信者だそうです。一番扱いやすいのは、その宗教の男性信者だというのです。つまり奥様の完璧主義に付き合っている夫は常に相手のことを考えるからということでした。 こうあらねばならないという信仰は、やはりどこかでうまくいかなくなると思います。自分が中心になっていく危険をもっているのです。
クリスマスの記事の中で、夫ヨセフは「正しい人であった」とあります。彼は律法に対して完璧な人ではありませんでした。神様のもとで、やるべきことをきちんとする信仰者だった。そして最後は神様にお任せすることができる信仰ゆえに「正しい人」と呼ばれたのでしょう。私たちに与えられている働きも、完璧ではなく、正しく行っていきましょう。やることはきちんとして、最後は神様にお任せするという仕事の仕方を求めています。私たちは完璧主義ではなく、神様の働きを正しく行っていく責任をまかせられています。