箴言14:4 牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力。
「あばたもえくぼ」と言う言葉があります。恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見える。ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見えるということのたとえだそうです。まあそうかなと思います。しかし、このたとえは「見方を変えてみれば」と言うことだと思います。何事も見方を変えてみれば、今までとは違ったものが見えてくるのです。これができれば人生が苦しいことばかりではなくなります。ポジティブに生きていくには、見方を変えることができるかどうかです。
箴言14章4節には農耕に関した格言がでてきます。旧約聖書では王国時代の初期の頃に、牛による農作業がその生産力をあげています。今日の格言は、そのような時代の中で作られ ています。自分たちの生活の中で、どこに自分の視点をおくかということです。どちらに視点をおいても根本の出来事はかわらないが、視点をかえることで受け取り方は正反対になってしまいます。
心理療法の中に「リフレーミング」というものがあります。枠組みをかえてみるということです。その中に海外に住む一人の婦人の話がありました。彼女は神経質で綺麗好きのため、部屋が汚れるのを極端に嫌っていました。とくに部屋のカーペットが汚れるのが、彼女にとって大変な苦痛でした。またそのことで彼女は精神を病む結果にもつながりました。ある時、医者から「リフレーミング」の話をききます。それはカーペットが汚れるのではなく、人がそれだけ多く歩いているから汚れると見方を変えることでした。人がそこに住んで交わりがあるということへと見方を変えさせられたのです。それは彼女にとって素晴らしい発見となり、その後元気を回復していったというのです。
箴言は「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力」と教えています。ここでも見方を変えることを教えられます。このように考えると、人生における試練や苦しみも、実は神様に出会うためのものであると考えることができます。いま自分に起こっていることを神様の視点というフレームで見る時、いったいどのようにみえてくるのでしょうか。神様の視点は愛というフレームでみるということです。
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