箴言 17:14 いさかいの始めは水の漏り始め。裁判沙汰にならぬうちにやめておくがよい。
問題解決は、どこで間違ったかを知ることにあると教えられました。問題の原因をゆっくり考えてみると、そこに解決方法がすでにあると言うのです。確かに何か問題が見つかった時には、すでに大きな問題となっており、どうにもならないようになっていることが多いものです。複雑に問題が絡み合っていたり、人の勝手な思いが複雑にさせていたり。しかし、その元をたどれば単純なことが多いし、そこでの選択が間違っていただけということもわかります。とにかく何か行き詰まったら、原点にかえることです。そして冷静になることだと言えます。
箴言の記述法には「比較の詞」が多くあります。2つを並べて比較させ、どちらを選ぶのかを提示しているようです。この「選び」とうのは、聖書のテーマでもあります。新約聖書の中にイエス様の有名な言葉があります。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)。選びとは神様の出来事でもあります。箴言では、神様の御心に従ってどちらを選ぶのかを問われているようです。
小学生の頃「川の源流を探る旅」に参加したことがあります。朝5時に河口である海に集まり、車や徒歩で川を遡っていくのです。大きかった川が少しずつ小さくなり、小川になっていくがとても不思議でした。最終的には山の奥にある、水が岩から滴り落ちるところまでいきました。その時に、先生が河口の写真をみせて「大きな川もこの一滴にはじまる」ということを教えてくださいました。いまでも鮮明に覚えている出来事の一つです。
箴言は「いさかいの始めは水の漏り始め」と教えています。この漏り始めも一滴からです。わずかなことが大きな事へと発展していきます。どとすると、始めの水漏りの一滴に心をくばることを教えているのです。先人たちの知恵というのは、歴史をとおして長く伝えられていくものだと思います。
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