1コリント 14:9 あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。
教会に相談にかられる方が少しずつ多くなってきました。人生相談や家庭問題。恋愛問題や金銭問題もあります。教会も牧師も解決を持っているわけではありません。ただ話をよく聞いていると「一体何が言いたいのか」と考え込むことがあります。人は明確な言葉を使って相談するのが苦手のようです。自分の中でぐるぐる回るばかりで、何を伝えたいのかがはっきりしないのです。そこがはっきりすれば、教会が持っているイエス様のみ言葉で答えることができるのですが。
使徒パウロは「異言」というものについての注意を与えています。異言とは聖霊降臨のときの「ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2:4)というところに起源があります。しかし、「霊が語らせるままに」とありますから、ただの外国語というわけではないようです。パウロも異言を霊的な言葉としてうけとっており、語ることを禁じるより、それを解釈する人が必要と忠告しています。つまり、何を語っているかわかることが大切です。パウロは「空に向かって語る」という面白い表現をしています。人には届かず、空に消えていく言葉のむなしさを忠告しています
東京にある教会の説教題ポスターが話題になったことがあります。その教会では4月に牧師移動があり、新しく赴任された牧師がユニークな題を掲示されているからです。ある週の説教題は「気分はダイナマイト」でした。この「ダイナマイト」という意味が不明ですが、それほど激しいと言うことでしょうか。もしくは破壊的なのでしょうか。次の週は「窓をひらけば御霊がみえる」です。するとこの看板の前で若いサラリーマンの数人が「おい、教会は怖いところだよ」と話していたそうです。よく聞いてみると「教会の窓から『怨霊』(おんりょう)が見えるのだって」と。あきらから読み間違いなのですが、「御霊」は宗教用語、キリスト教用語なので理解しにくいものだったのでしょう。まさしく教会の外から眺めると「異言」なのだと思いました。
パウロは「どうして分かってもらえましょう」と言います。私たちは、「何を話しているか」を人に分かってもらわねばなりません。キリストのみ言葉をどうやったら分かりやすく伝えることができるでしょうか。それは自分の言葉の点検を必要とします。自分だけにわかる言葉をつかうのでなく、お互いに理解できる言葉、コミュニケーションを大切にしなければなりません。そのためには相手のことをまず考えることです。
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