ルカ 7:7 ひとことおっしゃってください。そしてわたしの僕をいやしてください。
「言葉は音ではありません。言葉は心の振動です」と言った人がいます。その方は「からだが語る言葉」の研究をしていた人でした。口に出して音にしなくても、言葉というものがある。それは真理のことばであり、言葉の存在がひとを癒し導いていくのだと思います。ヨハネによる福音書ではイエス様のことを「ことば」と言っています。深い意味を感じます。
本日の聖書では、イエス様のもとにユダヤ人長老たちがやってきます。危篤状態の部下の癒しを願う百人隊長が彼ら使いにだしたのです。異邦人であった百人隊長は自分の立場やユダヤ人との関係を知っていました。しかし、イエス様のみ言葉に権威と力とをみていました。そこで「ひとことおっしゃってください」と伝えたのです。その言葉の中にイエス様は信仰をみられたのです。
日常生活の中での何気ない言葉に、神様の語りかけを見出すことがあります。あたりまえの話しておられるのですが、そこに信仰の真理を教えられることがあります。ある本の中に次のように書いていました。「簡単なことばでも、誰が言ったかで名言となる」。つまり、「成功の秘訣は努力のみ」という言葉も、そのあとに(松下幸之助)とつけば名言となるのです。しかし、(自分の名前)では名言にはなりません。私たちは「誰が言ったか」に惑わされます。あの人は幼いからと聞かなかったり、あの人は嫌いだからと排除していたりすると、神様のみ言葉がきこえないものです。
百人隊長は「ひとことおっしゃってください」とイエス様に伝えています。言葉は人にはよらず、誰が言っても真理は真理です。百人隊長は自分の生活の中で考え、生活の言葉としてイエス様に自分の言葉を伝えました。それは信仰の確信でした。イエス様は彼の言葉は感心されたと聖書は述べています。私たちの生活にどれだけの真理の言葉があるでしょうか。それは、どれだけイエス様のみ言葉があなたの中にあるか、生かされているかにかかっています。
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