ヨハネ14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住。
ホーロー鍋の焼き芋器をいただきました。さっそく八百屋さんへ行き、サツマイモを買うことにしました。ところが、種類が多くて何を選んでよいか迷ってしまいました。何も考えずにそこにある物を選べばいいのですが、どれが美味しいかと考えだしたときに選べなくなってしまったのです。そんなときは選ばないで目の前の物を買うか、私を買っていう声を聴くかです。そんなことを考えていると、選択するということはいったい何かと思いました。確かに選択するには、応答ということが大切だと思ったのです。
ユダという名前の弟子は、一人ではありません。有名なユダは「イスカリオテ」のユダ。このユダはイエス様を裏切ったユダです。本日のユダは別の人です。そのユダが質問しました。イエス様が弟子たちにはご自分が誰であるか示されるのに、人々には示されないのはなぜかということでした。啓示の問題です。これに対しイエス様は啓示とは一方的なものではく、人々を選択して与えられるものではなく、応答だと言われました。そこで愛の問題を語られています。簡単に言えば、愛というものは往復切符であり、愛されても応答し愛を返さない限り片思いになると言われるのです。つまり、人が神様を信じるという選択も、イエス様との応答の中でこそはっきり与えられるということです。
こども説教を作るときにいつも「応答」ということを考えます。「問」と「答え」を大切にしたいということです。多くのこども説教は「教える」ということにポイントがあります。しかし、イエス様のみ言葉は「教える」ことではなく「伝える」ことがポイントだとおもうのです。教えるなら一方的でいいが、伝えるにはそこで応答が必要です。
イエス様は「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」と言われました。イエス様を愛するという行為の応答はイエス様の言葉を守るということです。この応答が大切です。私たちはイエス様を愛するから、イエス様の言葉を守る。イエス様の言葉を守ることで信仰が豊かにされていきます。
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