ユダ 1:2 憐れみと平和と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
フランスの言葉に「愛はいつも、いっそう深まっていくか、だんだん冷えていくかのどちらかである」というのがあります。この愛は、恋愛のことか、結婚生活のことか。または、家族、友達のことをいっているのか。どちらにせよ「愛」を深める努力をしなければいけないことを教えているのでしょう。さもないと「だんだん冷えていく」のです。ただこの「愛」とは何かは一番難しいテーマです。
ユダの手紙の挨拶の言葉です。手紙を書くときはまず「挨拶」を書きます。使徒たちの手紙でも同じです。しかしその挨拶は季節のものではなく、自分は何者で、キリストとの関係はどうであるかを示し、さらに祝福を与えています。この祝福の中で「愛」がでてくるのはユダの手紙のみです。キリストの守られている人々に「憐れみと平和と愛」が「ますます豊かに与えられるように」というのです。この「愛」とは神様の愛アガペーのことです。
私たちは愛を深めることをしているでしょうか。どうすれば深まっていくでしょうか。実は日本語にはいま使われているような「愛」は存在していませんでした。万葉集などでは「愛」は「悲しい」と表現されています。しかしキリシタン時代の人々は「愛」を「ごたいせつ」と翻訳しました。人間の愛と神の愛の違いだといえます。また愛の反対は「無関心」とは、マザー・テレサの言葉です。お互い大切な存在として関心をもち、深まっていくキリストの愛をかんがえなければなりません。
ユダは「憐れみと平和と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられるように」と挨拶をしています。「憐れみと平和と愛」。この3つが意味しているものは、イエス様そのものです。愛が最後にきているのは、すべては神様の愛によって支えられるということです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>