エフェソ 2:4-5 憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです。
ヨハネによる福音書には「初めにことばがあった」と記されています。神様の言葉(ロゴス)として、イエス様はこの世に来てくださいました。言葉とは心の震動であると言われます。神様の心がどうしても人を救いたいと震動しておられるからでしょう。私たちの救いのために、イエス様は私たちに仕えられます。十字架というご自分の死でさえも徹底的に仕えていかれます。このイエス様の十字架の震動が、人を生かすのです。それがイエス様の愛です。その愛でこの上なく愛されています。
パウロはエフェソの教会人々は、救われる以前の「死んでいた」状態であったと告げています。エフェソの人々の過ちに、罪が加わり、さらに多くの罪を重ねた生き方は、生きていながら死んでいる状態だというのです。そういう人間に対して神様は3つのことで、罪ある人間を救われたのです。「憐れみ」「愛」「恵み」です。この3つが、人間を絶望の状況から救いの状況へと逆転させたと述べています。パウロは「わたしたちをこの上なく愛してくださり」といいます。イエス様がわたしたちをこの上なく愛してくださったのです。その愛を中心に憐れみ、恵みがあります。
五、七、五のなかにすべてを集約させていく俳句。その俳句をつくってみようと考えましたが、やっぱりだめでした。どうしてもとってつけたような言葉になってしまうのです。素直に感じたままを言葉にするのは大変なことだと思います。まして愛を表現するのは大変なことです。日頃の生活の名kで、言葉を選ぶよりも、こころを伝える姿勢に変わりたいと思います。俳句とはこころを震動させて伝えることだとわかったのは、ひとりの小学生の句に出会ったときでした。
天国も もう秋ですか おとうさん 塚原 彩 『ちいさな一茶たち』より。
パウロは「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり」と教えています。イエス様がわたしたちをこの上なく愛して下さっています。それが伝わってきます。しかもあるがままに、ストレートに伝わってきます。そのイエス様の愛によって生かされていることを感謝する1日にしていきましょう。
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