1コリント 15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。
「プランニングにおいて重要なことは、明日何かを行うかを考えることではない。明日のために今日何を行うかを考えることである」とありました。仕事にしろ、人生にしろ、いろんな計画を立てながら生きています。多くは明日何をするかを考えています。しかし、目標が何であり、なぜ自分は生かされているかを知ることによって、その明日のために「今日」何をするかが大切なのです。
パウロは神様の教会を迫害したにもかかわらず、その彼が使徒となったのは「復活の主」との出会いによります。そのことが恵みであり、神様によって「今」があるというのです。過去でも未来でもなく、「今在る者」として他の弟子たちより多く働いたと言っています。
香港の友人が、中国製の置き時計をプレゼントしてくれました。とってもシンプルで気に入ってます。ところが一つだけ困ったことがあります。それはよく止まってしまう時計だからです。なぜならその時計は二日おきにネジをまく仕組みの時計だったのです。電池入りの時計になれている私にとっては驚きでした。さて、初めは「なんて不便な時計だろう」と思っていました。しかし、よく考えると「ただネジをまくだけなのに、それさえも面倒と思うようになったのか」と反省させられました。世の中はとても便利になりました。時計も電池を入れるだけで一年も二年も動くのです。しかも一分とかわらない正確さで動いています。そのような生活はとても快適です。しかし、電池や電気がなくなれば使用できない生活となるのです。手巻きの時計を眺めながら、毎日毎日、愛情を注いでネジをまくことの意義を教えられたようです。「今日も一日よろしく」と時計に声をかけてみると、一日の大切さを教えられるのです。
パウロは神様から大きな恵みを受け、罪赦された者となりました。その時、異邦人への福音宣教というプランを与えられました。そのプランの実現のために「今日」何を行うべきか、「今日」あるべき姿を示すのです。自分の明日のために「今日何を行う」べきであるかを考えながら過ごしていきましょう。信仰者とは、神様の前に自分の愚かさを知り、重要なことを見分けられる人のことでしょう。
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