創世 9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
被災地・気仙沼の漁師さんが教えてくれたことがあります。「津波のあと、魚は毒をもつ」。これは、昔からの言い伝えだそうです。津波のあとの魚は食べてはいけないということです。良く考えてみると、津波によって人がつくってきた生活のいろいろなものが海に流されていきます。それによって海が汚染され、魚が毒をもつようになるのだと思います。今回の被災地でも泥かき作業をしながら、そこに含まれる病原菌の多さ、そして化学物質、加えて放射線となれば、それがすべて海にも流れているわけです。魚が自分で毒をもつのでなく、人間のしてきたことによって毒をもたされるのでしょう。そのことは人間に帰ってくるのです。神様が創造された世界を、私たちはどのように保全してきたかを問われています。
洪水のあと、神様はノアとその息子たちを祝福しておられます。ふたたび創世記の初めにある「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉が繰り返されています。そして、「地の生き物」はすべて彼らに委ねられ、それを食べることが許されています。全ての生き物、自然を神様から委ねられた人間はどのように生きて行くか。契約が結ばれ、契約のしるしとして雲の中に虹を置かれたと書かれています。
ジャズ歌手の綾戸智絵という人がいます。その歌声は聞く人々の心を癒し、語りは人々を元気づけるのです。しかし、彼女が生きてきた人生は波瀾万丈、試練苦しみの連続だったようです。17歳で単身渡米、乳ガンで生死をさまよい、教会でゴスペルに出会い、結婚出産の後夫の暴力で離婚。帰国し様な仕事につきながらジャズを歌い続け、40歳でデビューがきまったと同時に声帯がつぶれて声が出なくなってしまう。それでも前向きに「生きていること」の大切さ、「命」あっての人生を唱えて生きてこられたようです。彼女は人生のどん底でゴスペルに出会い、これが自分の歌いたかった歌だと直感したそうです。その彼女が「ゴスペルって一言で言うとどんな歌ですか」ときかれたとき、次のように即答したのです。「ゴスペルっていうのは、自分がスッポンポンになって、上からのものを待っている音楽や」と。その言葉にびっくりしました。この人はクリスチャンに違いないと思いました。自分がスッポンポンになるということは、完全に悔い改めることですし、神様にすべてを委ねることでもあります。そして上からのものを待つ。これは聖霊の祝福を受けるということなのだと思います。
神様は洪水おさまったあと、ノアと息子たちを祝福して地のすべての生き物を「あなたたちの手にゆだねる」と言われました。委ねられた私たちはそれをどのように管理し、保全してきたのでしょうか。被災地は復興へむけて第一歩を踏み出しています。元に戻すのではなく、新しく社会を作りだしていく作業が行われています。そのなかで、大江教会は何を中心にしていくかが問われているように思われます。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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