九州学院朝礼191212「ひとすじの信頼」
ルカ 1:39~40 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
クリスマスの記事の中にマリアのエリサベト訪問があります。天使ガブリエルによって、イエスを身ごもっていることを知らされ「お言葉どおり、この身になりますように」とそれを引き受けて行く決心をしました。ところが、もう一人の女性がいることを告げられました。それは洗礼者ヨハネの母エリサベトのことです。彼女はエンカレムに住んでおりマリアと同じように聖霊によって身ごもった女性でした。
マリアはこの天使の言葉を信頼し、急いでエンカレムまでいきました。本来ならば婚約者のヨセフに知らせることが第一でしょうが、マリアは何かを確かめるかのように、その道程を急ぎ、エリサベトに挨拶をしたと記されています。マリアは決して一人ではない。エリサベトという同じ境遇に立つことになった者同志の信頼の絆が生まれたのでした。その、ひとすじ信頼がイエスの誕生を支えることになったのでした。
「小さなお母さん」という、小学二年生の女の子の作文を読みました。「私の家族は、お父さんとお母さん、そして弟と赤ちゃんの五人家族です。私のお父さんは、私が一年生のときに事故で足がなくなってしまいました。そのときお母さんのおなかには赤ちゃんがいました。お母さんは、私たちの世話とお父さんの世話を一生懸命にしていました。私はお母さんをみて大変だなと思っていました。そして赤ちゃんが生まれました。お母さんはますます大変になりました。私はそんなお母さんを見て決心をしました。お母さんのお手伝いをするために《小さなお母さん》になることです。まだまだつらいときもありますが、これからも小さなお母さんとしてお母さんを手伝っていきたいと思います」。このような内容でした。お父さんの事故によって家族の試練がやってきました。しかし、この女の子は家族の信頼という絆によって、それを希望へと変えていったのではないでしょうか。家族間の信頼の絆がそれを乗り越えさせたといえます。
小さくても、誰かが信頼をもって支えていてくれる。それがひとすじの信頼であっても、かたい絆となっていく。私たちの人生を支えるのはそのような信頼の絆だといえます。マリアとエリサベツ。二人は神様へのひとすじの信頼で結ばれていました。だからこそ、試練を乗り越えることができたのです。もっというならば、試練を希望へとかえることができたのでした。イエス・キリストの誕生を根底からささえたのは、ひとすじの信頼と神様によって結ばれた絆だったのです。
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