マタイ 14:28 ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
茂木さんの著書に「根拠なき自信」ということが書いてありました。そもそも自信というものは、何らかの成功体験から生まれると言われています。自信を持つには何らかの裏付けが必要だといわれています。しかし、何の成功体験もないままに、最初に自信をもっておくというのも大切なことだというのです。これを「根拠なき自信」というそうです。その自信はどこからくるのかと聞かれても、そんな根拠はどうでもよく、とにかく自分は自信があると考える。すると面白いことに、自信を持っている脳の状態になるというのです。つまり積極的な脳をつくりあげることが、不確実な時代には必要だというのです。
イエス様には、ガリラヤ湖で水の上を歩くという奇跡があります。弟子たちの乗った船は湖の上で、波と逆風に悩まされていました。弟子たちは船の中にイエス様がいてくださったらと思っていました。悩み苦しむ弟子たちの船に、水の上を歩いてイエス様が近づいてこられたのです。それをみたペトロは自分も水の上を歩けるとおもったのでしょうか。「水の上を歩いてそちらに行かせてください」とお願いしています。どうしてそのような言葉が言えたのか不思議です。
病院で看護補助のアルバイトをしていたときのことです。そのアルバイトは夜勤の手伝いというものでした。一つのフロアーを看護婦さんと2人でナースステーションにいるというものです。いまとなれば大変なアルバイでした。精神的にも肉体的にも疲れていたように思えます。週に2日の割合で病院に泊まり込むわけですが、夜の病棟の雰囲気が夜勤ペアによって毎回違うことに気がつきました。男性の看護士さんとペアを組むとき、またベテランの婦長さんとの夜勤。若い20代の看護士さんと組むとき。つまり組む相手によって病棟の雰囲気はまったく違うのです。いつも何か起こる夜もあれば、何も起こらずに静かな夜。そわそわした夜に、ピリピリした夜。長く続けていると、今日はどんな夜になるか想像できました。つまり、その夜に勤務する看護士さんによって病棟が変化するということです。何が起こっても受けとめられる方の時は静かでした。新人のかたで、まだ自信がないときには病棟にそれが伝わっていくのです。その方々の性格や仕草によっても違いました。そんなときに自分の存在はどうだろうかと考えてみたのです。
ペトロは水の上を歩いてイエス様のもとにいきました。歩けるという自信があったわけではありません。イエス様の命令なら水の上を歩くことができると信じたのです。これも根拠なき自信です。しかし、途中でおぼれそうになってしまいます。最後まで信じて歩くことができなかったからです。根拠なき自信でもイエス様によって信じさせてくださる信仰を疑ってはならないのです。
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