ヨハネ 3:16 神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
会話の中でよく聴く言葉があります。「すみません」という言葉です。本来「ありがとう」と言うところで、「すいません」といいます。何も悪いことはしていないのに謝っているように聞こえます。しかし、ある仏教のお坊さんの解釈を思い出しました。「すいません」という言葉は、「私」はこれまで多くの人、出会い、物、大自然のおかげで今日まで生きてくることができた。しかしそれに対して何一つ恩返しができていない。つまり「すみません(申し訳ない)」という気持ちを表した言葉ですと。あなたからの恩になにも返せなくて「すみません」ということです。イエス様と私たちの関係も同じかもしれません。
ヨハネ福音書の中で、最も有名な箇所です。たいてい好きな聖句のトップにこの聖句が上げられます。神様が、独り子であるイエス様を十字架の死に渡してまで、私たちを愛してくださったのです。私たちの罪を赦しあがなうためです。「たち」というより、これを読む人は「私」と置き換えます。こんな私のために、神様がそこまでしてくださったことに感謝するのです。
緩和ケア病棟訪問ではよく癒しの言葉に出会います。先月のことでした。95歳のおじいちゃんが「わたしゃ癌を自分で治した」と教えてくださいました。その方法は毎日2千回「ありがとう」を唱えたそうです。癌にむかって毎日2千回「ありがとう」を言う。するといつの間にか癌細胞が消えていたそうです。そんなことはないと、癌専門のお医者さんに聞いてみました。すると「それはあるかもしれません。ありがとうという言葉で免疫力はアップしますから」と言われました。「ありがとう」という言葉で人間の免疫力がアップする。とても驚きましたが「そうかもね」と納得してしまいました。確かに心が安定し、前向きになれると思います。100歳まで生きた方々へのアンケートがあります。その中で好きな言葉、よく言う言葉は何かを聞いたところ「ありがとう」と答えた人が6割以上いたそうです。あとは「感謝」「おかげさま」「おもいやり」です。すべては「ありがとう」に通じています。やっぱり「ありがとう」の言葉には人を生かす言葉の力があるのです。心からの「ありがとう」は、自分自身を生かし、人を生かす言葉だと言えます。
神様から私たちが頂いたものを数えることができません。(あまりにも多くて)イエス様の命までも頂いたのです。神様に何を返していけばいいのでしょうか。いや、返すことを神様は望んでおられないと思います。「ありがとう」と感謝して受け取ればいいのです。そして、頂いた恵みを隣人と分かち合い、「あなたも神様から愛された存在ですよ」と伝え、隣人に仕えることが「すみません」の言葉、それが本当の生き方だといえます。