マタイ 14:16~19a 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
「ピンチはチャンス」という言葉があります。しかし、冷静に考えても「ピンチはピンチ」でしかありません。起こっている出来事は最悪のことは変わらないのに、それがチャンスになるというのはどういうことでしょうか。それは、一つのできごとに対して、多方面から受け取ることができる能力を私たちは与えられているのです。最悪の出来事でも。どこを基本にしてみるかで、チャンスにもなり、そのままピンチになったりします。
本日の聖書は、イエス様が5千人以上の人たちを5つのパンと2匹の魚で満腹にされたという奇跡です。この奇跡の始まりは、イエス様が大勢の群衆をみて「深く憐れまれた」ということから始まります。夕暮れになり、5千人以上の人たちが夕食の時間になったとき空腹の様子をみて憐れまれたのです。弟子たちは各自で村へ食物を買いにいかせるようにと提案します。しかしイエス様は、そこにあるパンと魚で群衆を満腹させなさいと命令されたのです。それに対して弟子たちは「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と訴えています。この「しかありません」が弟子たちの見方だったのです。はじめから無理ですと言っているのです。
宅配便会社の創業物語を読みました。郵便や鉄道に代わる輸送手段としての宅配便がはたして受け入れられるか。創業者はビクビクしながら開店初日を迎えたそうです。会社オープンの日、夕方までにきた荷物は「2個」だったそうです。この「2個」を、その時どう考えたかです。彼らは「たった2個」と考えずに、「2個もきたからやれる」と思ったそうです。それから何日も荷物はこなかったけれど、初日に「2個もきた」ということに希望を見出していたといいます。積極思考と考えればそれまでですが、そこに時代を読む不思議な力があったのでしょう。いまでは宅配便はなくてはならないものになりました。どうして「2個もきた」という考えを持てたのでしょうか。それははじめからあきらめないという人生を生きてこられたからです。
弟子たちは「しかありません」と言っています。イエス様は「それをここに持ってきなさい」と言われました。イエス様と弟子の思いの違いは何でしょうか。イエス様は初めから5千人が「パン五つと魚二匹」で満たされることを知っておられるのです。答えをきちんともっておられる。先がみえておられる。私たちも「神様がかならず導いてくださる」という確信を持ち続けていきたいと願います。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>