牧師の朝は納骨室での祈りから始まります。整えられた納骨室には、柏木信隆牧師、森勉牧師もおられます。また先に天に召された方々も。毎朝の祈りが大切な時間となりました。納骨室での祈には1冊の本を用いています。聖書協会が出版した「1分間の黙想・心からの祈り」です。365日の聖書箇所と祈りが1頁にまとめてあります。この本によって祈りを導いていただいています。
毎日祈るといっても、自分の言葉で祈るのは限界があります。いつも同じ祈りになってしまいます。また習慣になりすぎて心からの祈りができているかどうか。この本に沿って祈るとき、祈りの豊かさを感じることができます。祈りが毎日の信仰の糧になってきているようです。教会のちょっと隠れた場所で、信仰の先輩たちに囲まれながらの祈り。毎朝の始まりに最高の時間をいただいています。
その日の聖句を読み、祈りを唱えます。祈りの言葉をじっくり心に刻みながら、1分間の黙想をします。心が落ち着いたら、さらに下には格言のような、キリスト教の偉人の言葉を読みます。先日はトーマス・ハーディの言葉でした。「宗教の目的は、人を天国に入らせることではない。人の心に天を入れるということだ」。なるほどだなと思いました。その人の心に天を入れること。それがいったいどんなことか、み言葉の宣教とはいったい何をすることなのか。神様が広島教会に求めておられることはいったいなにだろう。これからのなすべきことは何かを黙想できました。
与えられた礼拝堂で毎日み言葉が読まれる。絶えず祈りがある。礼拝が行われている。そこに参加くださることの素晴らしさを感じます。み言葉と祈りの「聖なる空間」が、人の心に天を入れることになると思いました。