マタイ 10:30 あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている。
よく「神様は何もしてくれない」という言葉を聞きます。そこで「神様に何をしてほしいの」と聞きます。するとあれこれと、自分のことばかりをお願いしている人が多いことがわかります。しかもその願いも神様に解決をお願いするより、まず自分が悔改めて祈ることが先と思うことがあります。私たちは神様を便利屋にしていないだろうかと思います。イエス様は私たちにとって、便利屋ではありません。まして使い捨てカイロのように扱ってはいないでしょうか。しかし、ちょっと離れてその状況をみると、神様をあまりにも小さく捉えていることに気がつきます。
イエス様は「人を恐れてはならない」と言われました。その話の中で雀と髪の毛のたとえを話されています。雀は当時もっとも値段の安い食べ物でした。しかしその最も小さな存在の雀さえ神様の配慮の中にいます。まして人間は髪の毛1本までも数えられ大切にされているのだと言われるのです。神様にこんなに大切にされていることを知るから「恐れることはない」と言われました。神様はすべてをご存知で、しかも細部にまで細やかな配慮をして下さっている。どこへ行くにも共にいて見守ってくださる。だからこそ恐れる必要は何もないのです。
古本屋さんで時間つぶしをしていた時のことです。ある1冊の本のタイトルに目を奪われました。その本は「あなたの神は小さすぎる」というものでした。その場にかなり長い時間を過ごしたことを思い出します。それくらい衝撃的なタイトルでした。そのタイトルは私に「どれだけ神様を信頼しているか」を問いかけてきたのです。自分の中で、神様にできるかどうかと考えてないかなと思います。そんな時、この「あなたの神は小さすぎる」という言葉がきこえてきます。私たちが信じている、イエス・キリストの父なる神様は、私たちの思いをはるかに越えた神様なのです。この方に信頼し、全てを委ねることを求められています。しかしその偉大さを忘れてしまうから恐れてしまうのです。
イエス様は「あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている」と言われます。私たちが神様を信頼していると考えるところに、恐れが生じる原因があるようです。私たちが神様を信頼するのではなく、信頼させてくださるのです。イエス様は「恐れるな。私はあなたのことを全て知っている」「髪の毛1本までも数えて知っている」とい言われます。神様はそこまで一人一人を大切にし、信頼させてくださるのです。その証しとして、イエス・キリストの十字架があります。
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