もう20年前のことです。「お願いがあるのですが」と、一人の女性が訪ねて来られました。手には数枚の写真と新聞記事を持って。その願いとは「被爆者が書いた原爆の絵を街角に返す会」のモニュメントを教会に設置してほしいということでした。とても困ったような雰囲気でしたので事情をお聞きしました。
「実はある街角にモニュメントを設置したのですが、地域の方々から撤去してほしいとの要望がでたのです」とのこと。その絵とは原爆当日の鶴見橋周辺の様子を書かれた絵と、書家が書かれたものを陶板にした木彫りのモニュメントでした。撤去の理由をお聞きしたところ住民の皆さんが「気持ち悪い」「子供たちが気味悪がる」「怖い」ということでした。耳を少し疑いましたが、原爆の悲劇をそのようにとらえる人たちが増えてきたのでしょう。若い世代の人たちに、原爆の悲劇をどのように継承し、平和を創造していけばいいのかを考えさせられました。
書家は「ヒロシマの顔 夏になると子供たちは裸がすき だけど着物を脱がせてはいけない 真黒こげの 幼児がよみがえってくる」と書かれました。神様が教会に置きなさいと言われたのだと理解しました。私たちはルーテル保育所を持っており、子どもたちの命を預かっています。悲劇を繰り返してはいけないのです。
ヨハネは「神様の御心に適うことを願うなら、神様はかならず聞き入れてくださる」と教えています。私たちは願いを持った瞬間から、自動的に神様に導かれて動き始めている。「願ったことはすでにかなえられたと信じない」と聖書は教えています。平和を覚える主日を迎えた私たちに、神様のみ心に適う願いとは何でしょうか。平和を求める祈りと願いを続けていきたいと思います。