ルカ 4:6 悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
「子どもは親の所有物か」ということを10年前にききました。そのころ「子どものペット化」ということを教育学者がいっていました。自分の子どもは、親の所有物ではない。一人の人格として相対するべきだタオいう話でした。たしかに、親の好きな洋服を着せ、髪型にし、思う通りに着飾って連れ歩く姿がよく見られました。これでは「子どもはペット」と言われてもしかたないと思いました。しかし、子どもは親の所有物ではないのです。
本日の聖書は「悪魔の誘惑」の箇所です。私たちには「人のパンだけで生きるものではない」というイエス様の言葉でも有名です。イエス様は40日40夜の断食の後、悪魔から誘惑を受けられます。しかし、そのすべてを神様のみ言葉によって退けられました。この箇所の誘惑には「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」というみ言葉で退けておられます。主なる神様を第一とするということです。
アレクサンダー大王の伝説に次のようなものがあります。大王は自分の死が近いことを知り、部下に遺言を遺したというのです。その遺言は「私が死んだら棺桶の中に納める時、私の両手を棺の外に出しておいてくれ」と。部下たちは何のためにと聞いたそうです。すると大王は「この世のすべてのものを自分は所有することができた。ありとあらゆる者を。しかし、天国には何一つ持っていくことはできない。これを知ることができるように」と答えたそうです。この世では自分のものになったように思っても、すべては自分のものにはならない。神様が与えてくださったものだから、神様に返すしかないということを教えたかったのかもしれません。何一つもたないほうが、神様の恵みで生きることができます。
悪魔は「もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」と、イエス様を誘惑しています。「みんなあなたのものになる」ということは、すべて自分の所有物にできると誘惑したのです。それに対してイエス様はすべてのものは神様のものであり、人間の所有物にはならないことを教えられました。それ以上に神様に仕えることの大切さをしめされたのです。私たちはついすべてのものを「自分のもの」としてしまう危険を持っています。「すべては神様のものである」という視点に立つとき、罪の誘惑を退けるポイントがあるように思います。
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