今年も学校の講演に招かれています。ただ対面式の講演が難しいところもあります。大学などは人数も多いので講演を録画することになりました。初めての試みなのでどうなりますか。実際の講演を録画したことはありますが、前もって講演を録画し、キリスト教伝道週刊に各教室、家庭で参加することになるそうです。
これからの講演はこうなっていくかもしれません。ただ、やはりライブがいいです。講演直前に会場の雰囲気を感じて話を変えることもできます。聞いている人の反応もわかりますから。講演は生き物だと思うくらい、その場の雰囲気が大切です。みな初めて会う方々ばっかりですから。学校ごとに感じる空気も違いがあります。ただコロナ禍の中での講演ですからしかたありません。新しい試みを楽しんでやってみようと思います。
今年の講演テーマは「コロナ禍の中に聞く神のみ言葉」というものが多いです。いまの状況の中で、学生たちの不安、失望、集えない苦しさ。これまでに経験したことがないような状況の中で、み言葉から答えを見出すというものです。しかし、ちょっと考えています。今の状況に対して答えがあるのだろうかと。ラビ・ザカリアスの言葉に「生きるために欠かせないのは、答えを得ることではない。問いに押し潰されそうなくらい日々にさえも神の臨在を感じることこそ、欠かせないのだ」というのがあります。多分コロナ禍の中で毎日「問い」をもって生きているでしょう。しかし答えが与えられない現実の中で生きています。「問う」ことの意味を教えられます。
たた、問うことを赦されていることが大切です。私たちは神様に問うことができます。この問いを問うことがみ言葉という答えとなって与えられるのでしょう。