箴言 18:13 聞き従う前に口答えをする者、無知と恥は彼のため。
久し振りにデパ-トへいき、多くの人がごった返していました。このような時は迷子が多いとみえて、ある売り場の方が二才位の男の子に話しかけておられました。その会話を聞きながら、さまざまな事を連想しました。さてその会話ですが、売り子さんが「あなたの名前は?」と聞くと、子供はきまって「ウルトラマン」としか言いません。その子供は何を聞いても「ウルトラマン」としか言えなかったのです。困った売り子さんは、「お父さんの名前は?」と聞きました。でもやっぱり「ウルトラマン」なのです。それでは「お母さんの名前は?」と聞いたところすぐに答えました。「うるさい」。多分この子供はお母さんに、ガミガミと言われているのでしょうか。お母さんを一言でいうと「うるさい」に集約できるのは、さみしいことですが。
箴言18章は、神様から離反する者に対する忠告からはじまります。神様から離反するとは、自己中心的で周囲から離れて行く者のことです。自己中心的な者、利己的な者が人々の間に争いをもたらすと教えます。集団生活において、自己中心、利己的ということは、神様から離反を意味しています。そこから「口答え」ということが述べられているのです。
ネットで「口答え」を検索していたら次のような記事がありました。「不適切なクレーム対応にお客様がキレた」というものです。それは「野菜が生だ」とクレームを言う客に「いつもこうです」と返答したら、「この店の教育はなってない」と店長を呼びつけて強く叱ったと言う話です。この場合、賢い選択は「指摘のあった料理を作りなおす」ということで、「野菜が生だと」と言っている客は「もっと火を通したものが食べたい」と思っているのだと考える。そしてそれを提供する。ところが、この記事にネットで火がついて「ごね得ニッポン」「過剰サービスに慣れ過ぎ。その負担は自分らバイトにまわってくる」など釈然としない書き込みが多く寄せられたというのです。そちらも一理あるなと思ってしまいました。
箴言は「聞き従う前に口答えをする者」と言っています。まずはその人が何をいっているのか「聞くこと」が大切だと教えています。そして「従う」ということ。この「従う」を間違えてはいけないと思います。神様に従って聞くということが知恵なのです。その視点からみれば、箴言の言葉は神様に聞き従う前にと読めないでしょうか。
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