マタイ 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
本教会の事務局長だった時にいつも考えていたのは「真摯さ」でした。自分はおの「真摯さ」を持っているか。事務局は教会全体をまとめる部署ですから、ちょっと間違うと権威とか偉さに走ってしまいます。権力がそれだけ与えられていおるのだから仕方ありません。ところがその権威というものは「真摯さ」を欠いては権威にはならないのです。それを失くして権威を振りかざすと人々や教会から離れてしまい、裸の王様になります。真摯さとは、人々に仕えることによって身に付くものだと思っていました。間違ってはいけない部分を学びました。
イエス様の変容といわれる箇所です。旅の途中で、イエス様は3人の弟子をつれて高い山に登られます。そのとき、弟子たちの前で光り輝いたという記事です。神様としての顕現が起こったと考えられます。そのとき、「顔は太陽のように輝き」とあります。この輝くイエス様の顔は「復活の主」を表しています。太陽のように輝く存在としてイエス様に、力強さとあたたかいものを感じます。
塩野七生さんと言う作家が「ローマ人の物語」という本を書いておられます。そのなかで、リーダーとして成功できる人間の最重要条件を記しておられました。それはイタリア語でいえば「セレーノ」、日本語でいえば「晴朗」といった雰囲気を持っているかです。「晴朗」な人間とは、簡単にいえば「小さな太陽」です。その人がいるだけで、どことなく周囲が明るくなる。あたたかくなる。気持がよくなる。そんな太陽のような人間のことです。そしてその「晴朗」の中心に「真摯さ」「誠実」というものがあると。それを持った人はリーダーとして認められるというのです。
イエス様の存在は私たちにとってどのようなものでしょうか。まさに「晴朗」だと思います。そこにおられるだけで、私たちは生きる勇気をいただけるのです。そのようなイエス様を私たちは自分のうちにいただいています。このイエス様の存在に目を向け、この方の御言葉を中心とするとき、私たちもまた「晴朗」であるといえます。自分のことばかりでなく、私の内に生きておられるイエス様のことを考える1日でありたいと願います。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>