2020年もあと数日でおわります。今年の年末年始は慌ただしくありません。いつも感じる特別なものがありません。コロナ感染拡大のせいでもあります。街に出かける機会もなく、車も少なく。年末の殺気立ったような雰囲気もありません。いつもならクリスマス礼拝終了後にちょっと休憩し、新年へと心を向けて準備するのですが。今年はどうもゆっくりしすぎて、次の一歩に踏み出せないでいます。
クリスマスもない、年末年始もない。普通の毎日を過ごしているような感覚になっています。それでも、クリスマスはお祝いしたい。年末年始は新しい年へ希望を持つときとしたい。忙しくてもいつものクリスマスがいいと思います。昨年までクリスマス後は「少しはゆっくりしたい」と思っていました。今年はこの季節の見方が全く違って見えるのです。これまでの日常がいかに神様の恵みだったかと思いました。
クリスマス礼拝ではセカオワの歌詞を紹介しました。「いつだって物語の主人公は笑われる方だ。人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ」。「いつだって物語の主人公が立ち上がる限り物語はつづくんだ」。アドヴェント期間中によく聞きました。これまでの人生を振り返ってみよう。これまでのクリスマスを思い出してみよう。その中に何を見ることができるだろう。華やかな御子の誕生だけがクリスマスのメッセージではない。それでも主人公は御子イエス。飼い葉桶に寝かされて、人から見れば滑稽でかわいそうで。そこにこそ幼子イエスの場所がある。幼子は微笑むが人を笑うことはしない。いったいクリスマスになにを見てきたのだろう。そして今年だから見えるクリスマスは。
コロナ禍の状況にあってはじめてわかるクリスマスの意味があります。忘れられない静かなクリスマスに私たちはどんなメッセージを神様からいただいたのかと。