マルコ 14:32 「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
元プロ野球の監督である野村克也氏が打撃の仕方について話していました。バッターは「間」がとれるかどうかで、打率が変わってくると言うのです。その間とは、「1,2,3」でバットを振ってはあたらない。「1,2、の3」であたる。この「の」が間であり、どうしても必要だと。この「の」が変化球を打つ秘訣だと言うことでした。
イエス様は十字架の死に向かわれる前に、ゲッセマネの園で祈られました。そのとき、汗が血の滴るように流れたと聖書はしるしています。神様と向かわれた瞬間でした。その「間」弟子たちに共にいるように言われたのです。共に祈りなさいでもなく、助けてくれでもなく。ここに座っていなさいといわれています。この祈りの時間の中で、何もせず座っていなさいといわれたことに大きな意味があるように思えます。
「日本人のスケジュール帳」という文を読みました。そこには「空白」や「間」がないということでした。とにかく忙しく、仕事の予定、プライベートの予定、ある人はペットの予定などびっしり書かれている。いつもスケジュール帳は真っ黒という人が多いようです。それを見てある人は「まるでスケジュール帳に空白はあるのを恐れているみたいだ」と言っていました。私たちの健康にとって、生活の中での「空白」や「間」は必要だと言われています。その何もない空白や時間の中での出会いが、人を感動や平安へと導いていくのだと言えます。
イエス様も「わたしが祈っている間」と言われました。十字架の死へ向かわれる時、「空白」「間」を弟子たちに与えられたのです。「座っていなさい」と言われた弟子たちは、そこで神様との時間を共有したのです。たくさんの予定やスケジュールの中で、どのくらいの「空白」をとれるでしょうか。あえてその時間をとることで与えられる恵み、神様と共にいる平安を考えてみたいと思います。
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