1コリント 9:23 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
最近の自分の体調で変わったことがあります。咳をしなくなったことです。大江教会に赴任したころは「コンコン」とよく咳をしていました。お医者さんの診断は「ストレス性気管支炎」でした。良くなる方法は一つだけ・それは役職を変わることと言われていました。見事に咳が出なくなったということは、ストレスがなくなったということでしょうか。むしろ大好きな現場で、宣教に携わっていることでストレスを発散させているのだと思います。人との出会い、共に歩むこと、この中に現場で働く恵みがわかります。
パウロは私たちの存在について教えます。勝手な思いや、ねたみ、争いがある中で、人の存在のあり方や関係を支えているものを示しています。パウロは私たちのことを「神のために力を合わせて働く者」といいます。何のために生きているか、働いているか。それは「神のため」なのです。それを忘れてはいけません。すべてを整えてくださるのは「神」です。神様の支えの中で生きる私たちは「神の畑」「神の建物」であり、神様の道具として使ってくださるのです。こんな私が神様の道具として働くのですから、福音のためにはどんなことでもしますと言っています。一人でできないことを、力を合わせて神様の道具である人々と共に働き、共に福音にあずかりたいと願います。
「メタボ対策1無,2少,3多」というのがあります。1無は、たばこをやめる。2少は、少食と少酒。そして3多は、多動、多休と、もう一つがわかりますか?「多接」だそうです。多くの人と接したり、物と接したりすること。仕事も一人でしないで、力を合わせること。趣味を広げて多くの事柄に接すること。つまりストレスの発散です。うちにため込まないことがメタボ対策にとってポイントなのかもしれません。「共に」が大切なのです。
パウロは「わたしが福音に共にあずかる者となるためです」といいます。福音にあずかることはこ一人ではできません。「神の畑」「神の建物」である私たちは、自分のための「畑」「建物」としてではなく、共に生きて働くひとのための「畑」であり「建物」でありたいと思います。心のメタボにならないように、普段の生活の中でも多く接してストレスのない所にしましょう。「共に」を考えてみましょう。
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