2コリント 5:20 キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
最近では「携帯電話のマナー」もよくなりました。礼拝やコンサートでも呼び出し音を聞くこともなくなったように思えます。あれだけ何回も「携帯電話はスイッチを切るか、マナーモードでお願いします」とい言われ続ければ当然のことでしょう。しかし、会議などでは素敵な呼び出し音が流れてくることがあります。大抵はバックの中から聞こえてきます。本人は自分のだと思ってなく呼び出し音は永遠と成り続きます。そのご携帯をバックから取り出すと大きな音がします。これだけで会議はすべて中断してしまうのです。ある会議で学んだことがあります。その会議では、1回は携帯が鳴りましたが、その後まったく音がしなくなったのです。その理由は、司会者の一言があったからです。「次に携帯がなりましたら、代わりに私がでます。それがルールです」と。
パウロに、神様との和解の任務が委ねられ、その任務を自分は果してきたことを語る箇所です。パウロ自身が「キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」と語っています。そのなかで「キリストに代ってお願いします」という表現を用いています。この「キリストに代って」ということは、キリストの持っておられる力を全権いただいてという意味です。
「神様のクレヨン」を読まれた方から、こんな話がありますとメールをいただきました。とっても意味深い話でしたので、ここで紹介させていただきます。ある男が自分が抱えている十字架の重みに耐えかねて、神様に頼みました。「神様、この十字架は私には大きすぎるし、重すぎます。この十字架をおろしてもいいですか。」すると声がして、「いいでしょう。そのおろす十字架の代わりに、ここにある他の十字架の中から、一つを選んで取りなさい。」そこで男は辺りを見回しました。大小さまざまな大きさの十字架が山ほどありました。どれも大きな十字架ばかりだったので、男は途方にくれましたが、そのときふと、すみに小さめの十字架を見つけました。他と比べると、どうもそれが一番小さそうだったので、男は言いました。「神様、これにします。」すると神様はいわれました。「良いでしょう。その十字架はついいましがたあなたがおろした十字架です。」イエス様は聖書の中で「自分の十字架を担って私に従わない者は、私にはふさわしくない」と言われました。自分の十字架の代わりはない。しかし自分の十字架はキリストの十字架でもあります。キリストと共に、ある時は代わって十字架を背負います。
「キリストに代って」ということは、大変な力強さと愛があります。キリストが持っておられる責任をすべて自分がおって行うということです。神様と和解することの大切さ、素晴らしさを示すために、パウロはキリストをおって、代ってそれをするというのです。
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