マルコ 10:40 わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。
イエス様のとこに、弟子のヤコブとヨハネの兄弟が「お願いすることをかなえてほしい」とやってきます。その願いは、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」でした。12弟子の中で、偉くなりたいというのです。イエス様は彼らが何を願っているかわかってないと言われました。そして「それは、わたしの決めることではない」と言われたのです。むしろ、そんなことより「仕える」ことを学びなさいと教えられました。決めるお方がおられ、それに従うのみと言われたのです。
総会にむけて「会議の技術」という本を読んでいます。これまでは「会議を行う」ことのみを考えてきました。しかし、会議にも技術があり、会議の目的は会議をやることではなく、目的を達成することにあるのです。本の中で、会議が長い原因の一つに「意思決定ができない」ことをあげていました。この問題はとても大きく重要だと思います。「よし、これでいこう」と決断する人がいないのです。ですから、「ああだ、こうだ」と言っているだけで、議論は空中を旋回するだけだと書いてありました。なぜ決定ができないか。決定するとは決断することであり、責任と義務を伴います。他の選択肢を捨てるというリスクも伴います。本の中には「全員が賛成しやすい抽象的な内容で決定するから、会議の決定事項が実行されない」と書いてありました。
イエス様は、すべてを決定するのは神様であると言われます。私たちはその決定に従い、決定によってなされている恵み感謝しています。私たちも神様の決定されたことによって許されてここに存在しています。人間のあやふやさではなく、神様の決定に従うことが求められるのです。私たちの人生もきちんと決めてくださる神様がおられることを意識して過ごしてまいりましょう。
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