ルカ 19:41 エルサレムが近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。
イエス様は、エルサレムのために嘆き、泣かれたと聖書は記しています。メシアであるイエス様の到来について人々が無知であること、やがてエルサレムも崩壊することを嘆いておられるのです。イエス様の涙をみた弟子たちはどのように感じたでしょうか。イエス様の涙の思いは何でしょうか。
ルーテル支援で仮設住宅訪問をしました。そこに、避難所で仲良くなったおじいさんがおられます。その方との会話の途中でのことでした。「なんで2人だったのか。1人でもよかったのに」と泣きだされたのです。実はおじいさんの2人の孫(小学校3年と1年)は、津波に流されてしまったのです。まだ見つからないというのです。「なぜ2人だったのか」。言葉になりませんでした。
また2人の孫を津波に流されたおばあちゃんも泣きながらやってこられました。「今日、下の孫が見つかったって、いま警察から電話があったんよ」。先日訪問したとき「牧師さん、きっと見つかるよね」と何度も言っておられました。仮設住宅支援とは、厳しい現実と向かい合うということです。いっしょに涙するしかない自分がいます。しかし、となりでイエス様も涙を流されているのがわかるのです。
イエス様は、エルサレムのために泣いておられます。この涙の意味を弟子たちが知るのはあとになってのことです。いまは涙を流すしかない。しかし、その涙はいつか癒しへとつながっていくことを覚えていたいと思います。イエス様も泣いておられる。そのことが私に慰めを語ります。
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