イザヤ 66: 2 わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人
イザヤ書の最後の章は、栄光の顕現というテ-マで書かれています。その中で、「み言葉におののく」という言葉がでてきます。神様の語られる言葉は、私たちに真理を指し示していますが、その言葉に「おののいて」いるのだろうかと考える時があります。
神様のみ言葉を読んでブルブルと震えるほど感動したり、不安を覚えたりしているでしょうか。聖書のみ言葉に真剣に聞いてないのか、読み方が悪いのか、み言葉に無関心になっている自分に気がつくことがあります。
私は九州学院高校に入学してはじめて聖書に出会いました。そのときの日記に、「今日始めてブルブルと寒気がする本を読んだ」と書いていました。新しい頁をめくるごとに、「これが真理というものか」という感動と、罪ある者としての「おののき」をもったのでした。
「み言葉におののく人々よ、主のみ言葉を聞け」とイザヤは叫んでいます。毎日始めて聖書を読む人のような気持で聖書を読み、おののくことから、慰めのみ言葉を読み取りたいと願っています。
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